1班 上田城探検
10月4日日曜日に笠原工業で行われた「キモノマルシェ」というイベントに参加。
かつて蚕系業で栄えた上田の歴史について学ぶことが出来ました。
イベント終了後には僕たち1班は上田の町中を散策する「ブラ探検」を実施しました。
今回初めての「ブラ探検」という事でどこかに焦点を合わせて散策しようと計画し、事前に話し合いをしたところ、私たち1班のメンバーは幾人かが歴史について興味を持っていたので、上田市に現存する城である上田城の歴史について調べてみようと思いました!
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休日だったせいか、上田城にはとても多くの人々が訪れていました。
人ごみの中、まず始めに、私たち1班の目に入ったのは上田城の城門です。
城門正面から見ると右側にはお堀、左側には険しい崖があり、正面の門からでないと敵は攻め込むことができなかったであろうという感想を持ちました。二度に渡る徳川軍の上田合戦で、真田軍を勝利に収めたのはこの立地条件などが関係したのかもしれませんね。。。
(空もキレイ!)
次に私たちが気になったのは城門のすぐ傍にあった上田城門のやぐらです。合戦時もここから見張っていたのでしょうか。
200円の見学料を支払い、登ってみるとそこからは上田市内を見渡すことができ、とても見晴らしがよかったです。合戦時、攻めてくる敵もよく見えたでしょう。
上田城内にお邪魔してみると、そこには城内の中心を囲うようにお堀がありました。お堀の周りには沢山の桜の木が植えてあり、春には桜の花が咲き乱れていると想像してみると、とても心が躍りました。こちらがそのお堀になります。この堀は素堀という作りでできています。そして左右に土を堤状に積み上げて土塁としていました。
ですが、第二次上田合戦後に徳川勢に土塁を崩されてしまい、1度堀を埋められてしまいました。
(春にまたお花見にきたいですね!)
お堀に気を取られてしまいまいましたが、城門の石垣も非常に立派なものでした。
1つ1つがとても大きな岩で形成されていて、当然当時には機械などはありませんから、これを手作業で積み上げたと考えると大変な作業であったことが伺えます。
こちらは日露戦争で長野県から出兵していった方々の慰霊碑のようです。
なぜ上田城にこのようなものがあるのか、こちらはまた次の散策の機会の時に詳しく調べたいと思います。
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今回の「ブラ探検」ではとても楽しい時間を過ごすとともに、上田城の歴史について触れることが出来ました。2度の合戦に対して大変不利な戦力差にも関わらず勝利をおさめた背景に上田城は大きく関わっていたのでしょう。
しかし、上田城には門やお堀などは現存していますが、城として決定的に不足していると思われるものがありました。
それは天守閣がないことです。。。。
そもそも天守閣はなかったそうです!
上田城は素晴らしい過去の実績はありますが、訪れてみると少しがっかりというか、なんというか…
歴史が好きでたまらない!という方以外はあんまり楽しめなさそうです(苦笑)
今回の「ブラ探検」では参加出来なかったメンバーもいたので、次回は全員で参加できるといいでですね。
かつて蚕系業で栄えた上田の歴史について学ぶことが出来ました。
イベント終了後には僕たち1班は上田の町中を散策する「ブラ探検」を実施しました。
今回初めての「ブラ探検」という事でどこかに焦点を合わせて散策しようと計画し、事前に話し合いをしたところ、私たち1班のメンバーは幾人かが歴史について興味を持っていたので、上田市に現存する城である上田城の歴史について調べてみようと思いました!
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休日だったせいか、上田城にはとても多くの人々が訪れていました。
人ごみの中、まず始めに、私たち1班の目に入ったのは上田城の城門です。
城門正面から見ると右側にはお堀、左側には険しい崖があり、正面の門からでないと敵は攻め込むことができなかったであろうという感想を持ちました。二度に渡る徳川軍の上田合戦で、真田軍を勝利に収めたのはこの立地条件などが関係したのかもしれませんね。。。
(空もキレイ!)
次に私たちが気になったのは城門のすぐ傍にあった上田城門のやぐらです。合戦時もここから見張っていたのでしょうか。
200円の見学料を支払い、登ってみるとそこからは上田市内を見渡すことができ、とても見晴らしがよかったです。合戦時、攻めてくる敵もよく見えたでしょう。
上田城内にお邪魔してみると、そこには城内の中心を囲うようにお堀がありました。お堀の周りには沢山の桜の木が植えてあり、春には桜の花が咲き乱れていると想像してみると、とても心が躍りました。こちらがそのお堀になります。この堀は素堀という作りでできています。そして左右に土を堤状に積み上げて土塁としていました。
ですが、第二次上田合戦後に徳川勢に土塁を崩されてしまい、1度堀を埋められてしまいました。
(春にまたお花見にきたいですね!)
お堀に気を取られてしまいまいましたが、城門の石垣も非常に立派なものでした。
1つ1つがとても大きな岩で形成されていて、当然当時には機械などはありませんから、これを手作業で積み上げたと考えると大変な作業であったことが伺えます。
こちらは日露戦争で長野県から出兵していった方々の慰霊碑のようです。
なぜ上田城にこのようなものがあるのか、こちらはまた次の散策の機会の時に詳しく調べたいと思います。
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今回の「ブラ探検」ではとても楽しい時間を過ごすとともに、上田城の歴史について触れることが出来ました。2度の合戦に対して大変不利な戦力差にも関わらず勝利をおさめた背景に上田城は大きく関わっていたのでしょう。
しかし、上田城には門やお堀などは現存していますが、城として決定的に不足していると思われるものがありました。
それは天守閣がないことです。。。。
そもそも天守閣はなかったそうです!
上田城は素晴らしい過去の実績はありますが、訪れてみると少しがっかりというか、なんというか…
歴史が好きでたまらない!という方以外はあんまり楽しめなさそうです(苦笑)
今回の「ブラ探検」では参加出来なかったメンバーもいたので、次回は全員で参加できるといいでですね。