真田古墳と伝承

CoolUedaプロジェクト

2013年11月21日 13:39

こんにちは、まるです。

今回は、九度山町にある、真田氏に関係するものをご紹介していこうと思います。

そば処幸村庵を出て、しばらく歩いた所に「真田古墳」と呼ばれるものがあります。
下がその真田古墳と呼ばれるものになります。


徳川と豊臣の大きな戦いが始まる頃に、真田幸村は、この九度山で、14年に渡る謹慎生活を送っていました。
その中で、豊臣方が戦いの為に浪人(仕える家を失ったりした武士)を集めているということで、幸村もその呼びかけに応じて大阪城へと向かいます。
この古墳には、「この穴の向こうは実は大阪につながっていて、真田幸村がこの抜け穴から戦場に行った」という、いわゆる「真田の抜け穴伝説」といったものが伝わっていたそうです。


しかし、実際はこの場所は、古墳と書いてあるように、古墳時代の頃の円墳というものだそうです。写真の説明では、6世紀頃のものなので、かなり古いもののようです。

古墳と判明しましたが、真田の抜け穴にちなんで、真田古墳という名前になったそうです。

真田幸村関連のものには抜け穴が多いのだなという印象を強く受けます。
以前紹介した三光神社にも抜け穴がありました。下のURLの記事が三光神社の記事になります。
『真田丸と三光神社』
http://coolueda.naganoblog.jp/e1383655.html


こういった抜け穴などの伝承があるのも、真田幸村という人物に対して、その生涯に浪漫を抱ける要素の一つです。
伝承の中には、住民のその人に対する尊敬など、様々な思いがこめられているものなので、「場所の年代が違うから間違っている」という考えではなく、そういった住民の思いを楽しみながら、見ることが出来ました。

次は、真田庵(善名称院)という、真田昌幸、幸村親子が暮らした場所にあるお寺をご紹介しようと思います。



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