真田石の伝承を考える

CoolUedaプロジェクト

2013年10月17日 13:39

こんにちは、まるです。今回は、更新が一週間ほど空いてしまいました。申し訳ありません。

今回ブログで紹介するのは、真田氏、そして上田城にまつわる伝承についてです。

4月に毎年行われる「上田真田まつり」の開会式、セレモニーの開催場所、そして、上田城址公園内、真田神社に行くときに通る櫓門には、実はこのような石垣があるのです。下の写真をご覧ください。

こちらが、今回紹介する真田石になります。写真の石垣の左側に写っている大きな石がその真田石です。

第二次上田合戦で、真田昌幸、幸村親子は、上田城にて徳川秀忠が率いる軍に奮戦しますが、真田親子が味方についていた西軍が関ヶ原の戦いで負け、真田親子は九度山(現在の和歌山県九度山町)に蟄居させられることになります。
その後、昌幸の子で幸村の兄である真田信之が上田領を治めることになります。その信之が松代(現在の長野県長野市松代)への領地変更を命じられた際に、この真田石を持っていこうとします。しかし石はびくともしなかったという伝承が残っています。


しかし、写真の看板の説明でもあるように、現在の城の石垣は、信之の後に上田を治めた仙石氏の頃に作られたものであるため、このお話は、真田氏の人柄に対する民衆の思いが伺えるものになっています。
石垣自体の年代は違っていても、このような伝承を聞くことにより、歴史上の人物への思いを感じることが出来ます。
上田城に来る方々に、この伝承を知ってもらい、当時の歴史を考え、浪漫を感じてもらいたいです。



話題は変わりますが、この間の10月11日~13日の間に長野大学前川ゼミの真田氏研究グループで、大阪・九度山の視察に行ってきました。その様子もブログで随時上げていこうと思います。
大学ホームページにも前川ゼミの視察目的などの記事がアップされています。ご覧ください。
http://www.nagano.ac.jp/news/2013-1011msemi/index.html




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